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医工学・聴覚診断

聴性脳幹反応 ABR シミュレーター

音刺激後 10ms 以内に頭皮上電極で記録される脳幹由来の電位「ABR」を可視化するツールです。刺激レベル・反復速度・スイープ回数・患者状態を変えると、Wave I-V の潜時、Inter-Peak Interval、SNR 改善、推定聴力閾値がリアルタイムで更新されます。

パラメータ設定
刺激レベル
dB nHL
click 刺激の音圧レベル(normal Hearing Level)
クリック反復速度
Hz
高速ほど脳幹の順応で Wave V が遅延しやすい
スイープ回数 N
加算平均回数。SNR は √N で改善
刺激種類
click は周波数特異性なし/tone-burst は周波数特異閾値推定に使用
患者状態
病態に応じて潜時補正と推定閾値が変化
同側耳
同側 (ipsilateral) 記録の対象耳
計算結果
Wave I 潜時 (ms)
Wave V 潜時 (ms)
IPI I-V (ms)
SNR 改善 (dB)
推定閾値 (dB nHL)
テスト時間 (s)
ABR 波形 — Wave I-V マーク/加算平均進行

頭皮上電極(Cz vs 乳様突起)で記録される 10ms 以内の脳幹電位。下のバーは加算平均の進行を示し、N の増加に従って雑音帯が縮みます。

Wave V 潜時-強度関数 — Latency-Intensity Function
病態別 Inter-Peak Interval 比較
理論・主要公式

$$L_V(L) = L_{V,80\text{dB}} + 0.05\,(80-L),\qquad \text{SNR}_{avg} = \sqrt{N}\cdot \text{SNR}_{single}$$

L は刺激レベル (dB nHL)、N は加算平均回数。刺激レベル増加で潜時が短縮(−1.0 ms / +10 dB)、加算平均で SNR は √N で改善します。

$$\text{IPI}_{I\text{-}V} = L_V - L_I,\qquad \text{IPI}_{I\text{-}V} \gt 4.6\,\text{ms} \Rightarrow \text{後迷路性病変示唆}$$

Inter-Peak Interval は末梢性難聴の影響を受けにくく、脳幹伝導時間の指標になります。

$$\text{ABR threshold} \approx 20 + \Delta_{condition}\;(\text{dB nHL})$$

ABR で Wave V が消失する最小強度を聴力閾値の推定値とします。伝音性で +35 dB、感音性で +55 dB 程度のシフトが典型的です。

聴性脳幹反応 (ABR) — 聴覚スクリーニングと潜時診断

🙋
生まれたばかりの赤ちゃんに「耳の検査」をするって聞きました。あれって、まだ「音が聞こえますか?」って聞けないですよね?どうやって調べるんですか?
🎓
いいところに気づいたね。新生児には返事ができないから「耳から脳に信号が届いているか」を頭の皮膚に貼った電極で直接測るんだ。これが ABR、聴性脳幹反応。耳の横に「カチッ」というクリック音を 1 秒に 20 回くらい鳴らして、刺激後 10 ms 以内に出る数百 nV の小さな電位を 1000〜2000 回ぶん加算平均する。すると Wave I から Wave V まで 5 つの山がきれいに出てくる。新生児聴覚スクリーニング(AABR)はこの Wave V が出るか出ないかを自動判定しているんだよ。
🙋
5 つも山があるんですね!それぞれの山って何が違うんですか?
🎓
それぞれ電位が発生している場所が違うんだ。Wave I は耳に一番近い蝸牛神経の末梢で、ここから上行して Wave II が聴神経の近位部、Wave III が脳幹に入ってすぐの蝸牛神経核、Wave IV が上オリーブ核、Wave V が中脳の側丘体あたり。だから 1ms から 5.5ms くらいまで、ちょうど 1ms ずつ位相がずれて山が並ぶ。左のスライダーで刺激レベルを 60 dB に下げてみて。0.05 × (80-60) = 1.0 ms ずつ全ての wave が右にずれるはずだよ。これが「潜時-強度関数」と呼ばれる ABR の基本的な性質だ。
🙋
なるほど!じゃあ「患者状態」のところを「後迷路性病変」に切り替えると、何が変わるんですか?
🎓
後迷路性病変、たとえば前庭神経鞘腫(聴神経腫瘍)があると、脳幹の中の伝導が遅くなる。だから Wave I はまだ普通に出るけど、Wave III や Wave V が遅れて、Inter-Peak Interval(IPI)I-V が伸びるんだ。健常成人で 4.0 ms くらいの IPI I-V が、4.6 ms を超えたら要注意というのが臨床の目安。下の「病態別 IPI 比較」グラフを見ると、感音性難聴では IPI はあまり変わらないけど、後迷路性病変だけ IPI I-V がぐっと長くなっているのがわかる。MRI が普及した今でも、ABR は安価で被曝なく後迷路性病変をスクリーニングできる手段として現役なんだよ。
🙋
スイープ回数を増やすと「SNR 改善」がぐんぐん上がりますね。なぜ平均を取ると雑音が消えるんですか?
🎓
脳の自発脳波や筋電は刺激と時間関係を持たないランダム雑音、ABR は刺激に時間同期した信号——この性質の違いを使うんだ。N 回加算すると信号は N 倍、雑音は √N 倍にしか増えないから、SNR は √N に比例して改善する。N=1500 なら 10·log10(1500) ≈ 31.8 dB の改善。これがちょうど ABR の信号を背景雑音から浮かび上がらせるのに必要な量で、臨床では 1000〜2000 スイープが標準とされる根拠になっている。スイープを増やせばさらに綺麗になるけど、検査時間が伸びるし、児がぐずって筋電が増えると平均回数を増やしても追いつかなくなる。だから「短時間で十分な SNR」を達成するのが ABR 測定の腕の見せ所なんだ。
🙋
「click」と「tone-burst」って何が違うんですか?周波数別の聴力を測りたいときはどっちですか?
🎓
click 刺激は 0.1 ms の鋭いパルスで、エネルギーが 1〜4 kHz の広帯域に分布する。だから「だいたい中〜高音域が聞こえているか」しか分からない。一方の tone-burst(500 Hz, 1 kHz, 2 kHz, 4 kHz)は中心周波数を持つ短いトーンを使うから、周波数特異的な閾値が推定できる。新生児スクリーニングではまず click でざっくり Refer/Pass を判定し、Refer になった児には tone-burst ABR や ASSR(Auditory Steady-State Response)で各周波数の閾値を出し、補聴器のフィッティングに使う、という二段構えが標準的だよ。

よくある質問

ABR の各 wave は音刺激後に脳幹を上行する電気的活動の発生源を反映します。Wave I は蝸牛神経末梢(聴神経の遠位部)、Wave II は聴神経近位部、Wave III は蝸牛神経核、Wave IV は上オリーブ核、Wave V は外側毛帯〜中脳側丘体由来とされます。臨床では特に再現性の高い Wave I と Wave V を指標として、潜時・振幅・Inter-Peak Interval を評価します。成人で典型的な潜時は I=1.5、III=3.5、V=5.5 ms(80 dB nHL click)です。
IPI は脳幹内の伝導時間を表し、末梢性聴覚障害の影響を受けにくいため後迷路性病変の検出に有用です。成人では IPI I-V がおおむね 4.0 ms、IPI I-III が 2.0 ms、IPI III-V が 2.0 ms が目安で、IPI I-V > 4.4〜4.6 ms または左右差 > 0.2〜0.3 ms は聴神経腫瘍(前庭神経鞘腫)など後迷路性病変を示唆します。本ツールでは患者状態 'retro_cochlear' を選ぶと脳幹内伝導が遅延し IPI が伸びる様子を確認できます。
ABR の頭皮上電位は数百 nV と微弱で、自発脳波や筋電などの背景雑音(μV オーダー)に埋もれています。同じ刺激に時間同期した加算平均を N 回行うと、刺激同期成分は強め合い、ランダム雑音は √N の比率で打ち消し合うため、SNR は √N に比例して改善します。具体的には N=1500 で 10·log10(1500) ≈ 31.8 dB の SNR 改善が得られます。臨床で 1000〜2000 スイープが標準とされる根拠です。
自動 ABR(AABR)は 35 dB nHL 前後の固定強度 click を用いて Wave V の有無を自動判定するスクリーニング検査で、Pass / Refer の二値結果のみを返します。一方の診断 ABR は刺激レベルを 20〜100 dB nHL で段階的に変化させ、Wave V 潜時-強度関数、IPI、tone-burst による周波数特異閾値を評価します。AABR で Refer になった児に対して、難聴の有無・部位(伝音 vs 感音 vs 後迷路)・閾値を確定するのが診断 ABR の役割です。

実世界での応用

新生児聴覚スクリーニング(AABR):日本では出生児の 90% 以上が分娩入院中に AABR を受けます。35 dB nHL の click 刺激で Wave V が再現性よく検出されれば Pass、しなければ Refer。早期発見・早期介入により、両側性難聴児の言語発達は 6 ヶ月までの補聴器フィッティングで著明に改善することが報告されています。本ツールで「刺激レベルを 35 dB に下げると Wave V がギリギリ検出されるか」を試すと、AABR の感度の難しさが直感できます。

聴神経腫瘍(前庭神経鞘腫)の診断:MRI 普及前は ABR が後迷路性病変スクリーニングの第一選択でした。現在も保険適応の都合や MRI 禁忌例(金属インプラント等)、片側性感音性難聴のフォローで ABR は活用されます。IPI I-V > 4.6 ms、左右差 > 0.3 ms、Wave V の振幅低下が陽性所見。本ツールで 'retro_cochlear' を選ぶと IPI I-V が約 4.8 ms に伸び、判定が ng になることを確認できます。

術中聴神経モニタリング(IOM):聴神経腫瘍の摘出術や小脳橋角部手術では、聴神経・脳幹を温存するためリアルタイムで ABR をモニタリングします。Wave V の潜時が 1 ms 以上延長、または振幅が 50% 以上低下した時点で術者にアラートし、操作の見直しを促します。連続加算で 1 つの波形を出すのに 30〜60 秒、迅速さと信頼性の両立が技師の腕の見せ所です。

意識障害・脳死判定の補助:脳幹の機能評価として、coma 症例や脳死判定の補助検査に ABR が用いられます。脳死では Wave I 以降(脳幹由来の wave II-V)が全て消失し、蝸牛神経末梢の Wave I のみが残存するパターンが典型的。重症脳幹障害例で Wave V のみ消失するなど、wave のパターンから障害部位を推定する役割も担います。

よくある誤解と注意点

まず最大の誤解が、「ABR Pass = 正常聴力」です。AABR は通常 35 dB nHL の固定強度で Wave V の有無を判定するため、軽度難聴(20〜35 dB HL)や低周波数のみの難聴を検出できません。click 刺激は 1〜4 kHz 帯域が中心なので、500 Hz 以下の低音域に閾値上昇があっても Pass になり得ます。AABR で Pass だった児でも、その後の発達遅延や反応の鈍さがあれば、必ず精密聴力検査(tone-burst ABR、ASSR、行動聴力検査)でフォローアップしてください。「スクリーニングが Pass だから心配ない」は誤りです。

次に、「クリック反復速度は速ければ速いほど短時間で検査が終わる」という思い込み。確かに 90 Hz なら 1500 sweeps が 17 秒で終わりますが、脳幹の順応により Wave V が 0.5〜1.0 ms 遅延し、潜時の正常値判定が使えなくなります。臨床では 11〜21 Hz が標準で、後迷路性病変の検出には反復速度を上げてストレステストする「rate study」も行われますが、これは正常値との比較が前提です。本ツールでは反復速度の影響は簡略化していますが、実際の判定では各施設の正常値表を必ず参照してください。

最後に、「電極インピーダンスは下がっていれば下がっているほどよい」という思い込み。確かに高インピーダンス(>5 kΩ)は雑音増加の原因ですが、極端に下げる(<1 kΩ)ためにスキンプレップを強くやりすぎると、児の皮膚を傷つけ、しかも 2 つの電極間のインピーダンス差が大きいと common-mode rejection が効かず逆に雑音が増えます。理想は「3 電極全てが 3〜5 kΩ で揃っている」状態。新生児では特に皮膚刺激を抑える gentle prep が推奨されます。本ツールの SNR 改善計算は理想条件下の値で、実際は電極状態・児の動き・周囲の電磁ノイズによって √N 則から外れることを念頭に置いてください。

使い方ガイド

  1. 刺激音レベル(dB nHL)を設定します。新生児スクリーニングは30~40 dB nHL、聴力閾値測定は10~80 dB nHLの範囲で段階的に入力してください。
  2. クリック刺激レート(Hz)を入力します。通常は11 Hz(臨床標準)ですが、神経可塑性評価時は21 Hzも使用されます。
  3. 加算スイープ数を設定します。SNR改善量は√(スイープ数)に比例するため、新生児スクリーニングは1000~2000回、術中モニタリングは512~1024回が目安です。
  4. シミュレーション実行後、Wave I・Wave V潜時、Inter-Peak Interval(IPI)、SNR改善値、推定聴力閾値を確認します。

具体的な計算例

40 dB nHL、クリックレート11 Hz、スイープ1500回の条件:Wave I潜時1.6 ms、Wave V潜時5.8 ms、IPI I-V 4.2 ms、SNR改善38.8 dB、推定閾値32 dB nHLが得られます。加算回数を3000回に増やすとSNR改善が42.2 dBへ向上します。同じ被検者で刺激レベルを20 dB nHLに低下させた場合、Wave V潜時は6.2 msへ延長し、潜時延長が聴力低下を示唆します。

実務での注意点