低推力スパイラル軌道遷移シミュレーター 戻る
宇宙工学・電気推進

低推力スパイラル軌道遷移シミュレーター

イオンエンジンやホールスラスタの「高 Isp・低推力」特性に最適化されたスパイラル軌道遷移を、Edelbaum 近似と Tsiolkovsky の式で設計します。宇宙機質量・推力・比推力・出発/目標軌道高度を変えて、所要 ΔV・推進剤質量・噴射時間が Hohmann とどう違うかをリアルタイムに比較できます。

パラメータ設定
宇宙機質量 m₀
kg
初期(湿)質量。推進剤を含む
推力 T
mN
電気推進は典型的に 10〜500 mN
比推力 Isp
s
ホール 1500〜2500、イオン 3000〜4500 が目安
出発軌道高度
km
地表からの高度。500 km は典型的な LEO
目標軌道高度
km
35786 km が GEO(静止軌道)
推力プロファイル
連続噴射か、影による中断(デューティー)か
計算結果
ΔV (Edelbaum) (m/s)
推進剤質量 (kg)
推進剤割合 (%)
噴射時間 (day)
加速度 (μm/s²)
Hohmann 比 ΔV比 (%)
軌道遷移アニメーション(地球周回)

中心の青い円が地球。内側の青軌道(出発)から外側の緑軌道(目標)まで、黄色の螺旋に沿って多周回しながら宇宙機(白丸)が遷移します。

高度 vs 時間 — スパイラルの高度推移
Hohmann vs Spiral — ΔV・推進剤・時間の比較
理論・主要公式

$$\Delta V_{\text{spiral}} = |v_1 - v_2|,\quad v_i = \sqrt{\mu/r_i}$$

Edelbaum 近似。同一面内・接線方向噴射の場合、所要 ΔV は出発と目標の円軌道速度の差で決まる。μ は地心重力定数、r は軌道半径(地球半径+高度)。

$$m_f = m_0 \exp\!\left(-\frac{\Delta V}{g_0\,I_{sp}}\right),\quad m_p = m_0 - m_f$$

Tsiolkovsky のロケット方程式。比推力 Isp が大きいほど、同じ ΔV を稼ぐのに必要な推進剤 m_p が指数関数的に減る。g₀ = 9.81 m/s²。

$$\dot m = \frac{T}{g_0\,I_{sp}},\quad t_{\text{burn}} = \frac{m_p}{\dot m}$$

質量流量 ṁ と噴射時間 t_burn。推力 T が小さくても、Isp が高い分だけ ṁ も小さく、結果として噴射が長期化する。

低推力スパイラル軌道遷移 — 電気推進ミッション設計

🙋
「電気推進」って、化学ロケットと何が違うんですか?イオンとかホールっていうやつをよく聞きます。
🎓
ざっくり言うと、化学推進は「短時間にドーンと大推力」、電気推進は「長時間にチョロチョロ大噴射」だ。化学だと推力は数 kN〜数百 kN だけど、Isp は 300 秒くらい。一方イオンエンジンは推力こそ数十〜数百 mN しかないけど、Isp は 3000〜4500 秒。Isp ってのは「同じ推進剤 1 kg でどれだけ長く 1 G を出せるか」みたいな効率指標で、これが 10 倍違うと、同じ ΔV を稼ぐのに必要な推進剤の量がガクッと減るんだ。
🙋
推力が小さいと、ロケットみたいに「ドン!」って加速できないですよね?どうやって LEO から GEO まで上がるんですか?
🎓
そこがスパイラル遷移の面白いところで、噴射しっぱなしのまま、ほぼ円軌道を保って少しずつ半径を広げていくんだ。Hohmann みたいに「ペリジで一発、アポジで一発」みたいなインパルス噴射は使えない。代わりに、軌道接線方向に推力を当て続けると、軌道がじわじわらせん(spiral)状に外側へ広がっていく。デフォルトの 2 t・100 mN・Isp 3000 s で LEO から GEO まで動かしてみると、ΔV は 4538 m/s、推進剤は 286 kg、所要時間は 974 日くらいになるはずだ。
🙋
974 日…! 3 年近くですよ。Hohmann なら数時間で着くのに、なんでわざわざそんな遅い方法を選ぶんですか?
🎓
いい質問だ。ヒントは右の「Hohmann 比 ΔV比」のカードを見てくれ。スパイラルは ΔV では Hohmann より 1〜2 割増しに見える。でも、推進剤質量で見ると話が逆転する。Hohmann の 3.8 km/s を Isp 300 s の化学推進で達成すると、2 t の衛星なら推進剤だけで 1.5 t 近く食う。一方スパイラルは Isp 3000 s だから、4.5 km/s 出しても 300 kg で済む。つまり「同じロケットで打ち上げた時に、宇宙でフタを開けたときの『使える質量』が圧倒的に大きい」。これが Boeing 702SP やヨーロッパの Eutelsat 衛星が EOR(Electric Orbit Raising)を選ぶ理由だね。
🙋
なるほど、推進剤を節約する代わりに時間を払うんですね。月や火星に行くときも電気推進って使えるんですか?
🎓
使えるし、すでに使われてる。ESA の SMART-1 は 2003 年に GTO からホールスラスタだけで月遷移を達成して、約 13 か月かけて月軌道に入った。NASA の Dawn はイオン推進だけでベスタとケレスの両方を訪問した史上唯一の探査機で、累計噴射時間は 5 年を超えた。火星クラスだと到達まで 2〜3 年は覚悟が要るけど、ペイロード比は化学の比じゃない。逆に有人ミッションは「人間の被ばくと滞在時間」が制約になるから、まだ高推力 NTP/NEP が議論されてる段階だね。
🙋
スライダーで Isp を 1000 s まで下げたら、推進剤割合がいきなり跳ね上がりました。これが化学推進に近づいた状態ってことですか?
🎓
そう、まさにロケット方程式の指数項が効いてくる例だ。Isp が半分になると、同じ ΔV を達成する推進剤割合はだいたい指数で増える。LEO→GEO の 4.5 km/s だと、Isp 3000 s で 14% だった割合が、Isp 1000 s では 37%、Isp 500 s では 60% 超えと跳ねていく。一方で Isp を上げすぎても、今度は噴射時間が伸びすぎて運用コストや放射線劣化のほうが問題になる。実機設計は「ΔV・Isp・推力・運用期間」の四つを連立で最適化する作業なんだ。

よくある質問

イオンエンジンやホールスラスタのように、高い比推力(Isp)と引き換えに推力が非常に小さい電気推進で、宇宙機が連続的に噴射しながら多周回かけて少しずつ軌道高度を変えていく遷移方式です。化学推進のような 1〜2 回のインパルス的な ΔV 投入ができないため、ほぼ円軌道のまま接線方向に推力を当て続け、らせん(スパイラル)状に軌道を広げます。本ツールは Edelbaum 近似 ΔV = |v₁ − v₂| によって、円軌道間スパイラル遷移の所要 ΔV・推進剤・所要時間を求めます。
Edelbaum の解は、推力/質量比が円軌道速度に比べて十分小さいこと、推力が常に接線(速度)方向で最適に向けられること、ほぼ円軌道を保ったままゆっくり半径を変えることを仮定しています。この仮定の下では、円軌道速度の差 |v₁ − v₂|(v = √(μ/r))がそのまま所要 ΔV になります。傾斜変更を含めた拡張 Edelbaum 解もありますが、本ツールは同一面内のスパイラルに限定しています。LEO→GEO のようなケースでは Hohmann より ΔV が大きくなりますが、高 Isp により推進剤質量は大幅に減ります。
推進剤質量は Tsiolkovsky の式 m_p = m₀·(1 − exp(−ΔV/(g₀·Isp))) で決まり、Isp が大きいほど指数の中身が小さくなって m_p が劇的に減るためです。化学推進の Isp ≒ 300 s に対し、ホールスラスタは 1500〜2500 s、イオンエンジンは 3000〜4500 s に達します。例えば LEO→GEO で ΔV が 3.8 km/s から 4.5 km/s に増えても、Isp が 10 倍になれば打上げ質量に占める推進剤割合は概ね 1/8 程度になり、結果として同じロケットで運べる「使える」衛星質量が大きく増えます。Boeing 702SP や近年の商用通信衛星は、この EOR(Electric Orbit Raising)を本格運用しています。
噴射時間は t_burn = m_p / ṁ で決まり、質量流量 ṁ = T/(g₀·Isp) はスラスタ性能で決まる小さな値です。LEO→GEO(2 t 級・100 mN・Isp 3000 s)の標準ケースで概ね 6 か月〜1 年、月遷移ミッションでは 1〜2 年、深宇宙の Dawn(ベスタ・ケレス探査)では総噴射時間が 5 年を超えました。デューティーサイクル(80% など)を加味すると、その分だけ実時間が延びます。電気推進ミッションでは「いかに早く到達するか」より「どれだけ重い荷物を運べるか」が優先されることが多いです。

実世界での応用

商用 GEO 通信衛星の電気軌道上昇 (EOR):Boeing 702SP プラットフォーム、SES-15、Eutelsat 172B、SpaceX Falcon 9/Falcon Heavy で打ち上げられる「EP-only」衛星は、GTO への投入後に Xenon ホールスラスタだけで GEO まで上昇します。化学キックモータを省くことで打上げ質量を 30〜40% 削減でき、同じ価格のロケットでより大きなペイロードを運べる経済性が魅力です。代償として、運用開始までの軌道上昇に 3〜6 か月を要します。

月・小惑星・深宇宙探査:ESA の SMART-1(2003)はホールスラスタによる初の月遷移、NASA の Deep Space 1(1998)と Dawn(2007 打上げ)はイオン推進による深宇宙探査の代表例です。Dawn は単一機で複数の天体(ベスタとケレス)を周回した史上唯一の探査機で、累計 ΔV は化学推進では不可能な 11 km/s に達しました。日本の「はやぶさ」「はやぶさ 2」もイオンエンジン μ10/μ20 でリュウグウ往復を実現しています。

小型衛星・キューブサット用途:近年は ENPULSION や Busek の 1 mN 級超小型 EP モジュールが普及し、12U〜100 kg 級小型衛星でも軌道変更や軌道維持が可能になりました。Starlink V2 mini は各機にホールスラスタを搭載し、初期軌道上昇・コンステレーション維持・寿命末期のデオービットまで全て電気推進で行います。デブリ低減ガイドライン(25 年ルール)対応にも電気推進が重要な役割を果たします。

軌道維持・南北制御 (NSSK):静止衛星は太陽・月の重力で軌道傾斜が年 0.85° ほどずれるため、南北方向 ΔV 約 50 m/s/年が必要です。これを化学推進で 15 年運用すると数百 kg の推進剤が要りますが、Isp 1800 s クラスのホールで置き換えれば 10 分の 1 以下に圧縮できます。商用衛星寿命を延ばす最も古典的な電気推進応用です。

よくある誤解と注意点

まず最大の誤解が、「Edelbaum 近似はどんなケースでも 5% 以内で当たる」と思い込むこと。本ツールが採用している ΔV = |v₁ − v₂| は、推力/質量比が円軌道速度に対して十分小さい(典型的に a/v < 10⁻⁴)ことを前提にしています。電気推進でも 1 kW 級・大型機・小半径のケースではこの近似が崩れ、実 ΔV は数 % ずれます。さらに、地球低軌道では大気抵抗、GEO では月・太陽の重力摂動、深宇宙では太陽輻射圧が無視できず、Edelbaum 単独では誤差 10〜20% に達することもあります。詳細解析には GMAT・STK・JAXA Orbita 等の数値積分が必須です。

次に、「Isp が高いほど良いミッション設計だ」という素朴な誤解。確かに Isp を上げると推進剤質量は減りますが、同じ電力で達成するなら推力は逆比例で下がります(T = 2·η·P/(g₀·Isp))。Isp 5000 s と 3000 s で同じ 5 kW なら、推力は約 60% に落ち、噴射時間は逆に長期化します。長期噴射は太陽電池の放射線劣化・PPU/Cathode の摩耗時間消費・運用要員コストに直結するため、「ΔV 量・電力リソース・運用期間」の三つを連立で最適化する必要があります。商用 GEO 衛星では Isp 1600〜2000 s が「速さと推進剤のバランス」として選ばれることが多いです。

最後に、「シミュレーターの噴射時間 974 日 ≈ 実機運用時間」と読み替えないこと。本ツールが返すのは「累積噴射時間」であり、デューティーサイクル(地球の影による中断・PPU 熱制御・地上運用シフト・観測モード)を全く考慮していません。実機の EOR では typical 60〜80% のデューティが現実値で、SMART-1 は約 65% で月遷移しました。ツールの「デューティーサイクル 80%」オプションは簡易補正に過ぎず、本格設計ではセッション計画と影シミュレーションが必要です。また、運用初期のチェックアウト・低電力モード・故障時の待機も実時間に積み増しされるので、ミッション計画では burn time の 1.5〜2 倍を「実際の運用期間」として確保しておくのが堅実です。

使い方ガイド

  1. 宇宙機質量(1000~5000 kg)、推力(10~500 mN)、比推力(1500~3500 s)を入力します
  2. 初期軌道(LEO 400 km)と目標軌道(GEO 35786 km)の高度を設定し、Edelbaum近似による最適螺旋遷移を計算します
  3. ΔV、推進剤質量、噴射時間をHohmann遷移と比較し、低推力エンジンの効率性を評価します

具体的な計算例

衛星質量2500 kg、イオンエンジン推力50 mN、比推力2800 sの場合:Edelbaum最適化ΔV=3950 m/s(Hohmann 3850 m/sから2.6%増加)、推進剤質量=380 kg(推進剤割合15.2%)、噴射時間=87日、加速度=20 μm/s²。同じミッションをHohmannで実施する場合、ΔV 3850 m/sに対し化学ロケットでは推進剤質量640 kgが必要となり、低推力利用で40%削減が達成されます

実務での注意点