蒸発モデル

カテゴリ: 流体解析(CFD) | 統合版 2026-04-06
CAE visualization for evaporation model theory - technical simulation diagram
蒸発モデル

理論と物理

概要

🧑‍🎓

先生、CFDの蒸発モデルって何を計算するんですか?


🎓

液滴や液膜の蒸発速度を予測するモデルだ。燃料噴射後の液滴蒸発、噴霧乾燥、冷却塔、塗装乾燥など、相変化を伴う熱・物質移動を扱う。Lagrangian粒子追跡(DPM)の中で各液滴の蒸発を計算するのが主流だ。


🧑‍🎓

液滴の蒸発ってどういう物理なんですか?


🎓

液滴表面から蒸気が周囲気体に拡散していく過程だ。液滴表面では蒸気圧に対応した飽和濃度になり、遠方の低濃度との濃度差が駆動力になる。同時に蒸発潜熱の吸収で液滴温度が下がるから、熱移動と物質移動が連成した問題だ。


支配方程式

🧑‍🎓

蒸発速度の式を教えてください。


🎓

古典的なAbramzon-Sirignano(1989)モデルでは、液滴の質量変化率は次のように表される。


$$ \dot{m} = \pi d_p \rho_g D_{AB} Sh^* \ln(1 + B_M) $$

🎓

ここで $d_p$ は液滴径、$D_{AB}$ は蒸気の二成分拡散係数、$Sh^*$ は修正Sherwood数、$B_M$ はSpalding質量移動数だ。


$$ B_M = \frac{Y_s - Y_\infty}{1 - Y_s} $$

🧑‍🎓

$Y_s$ は液滴表面の蒸気質量分率ですよね?


🎓

その通り。$Y_s$ はClapeyron-Clausius式から液滴温度での飽和蒸気圧を求め、モル分率から質量分率に変換する。$Y_\infty$ は遠方(CFDセル平均)の蒸気質量分率だ。


🎓

液滴の温度変化は熱収支から求まる。


$$ m_p c_p \frac{dT_p}{dt} = \pi d_p k_g Nu^* \ln(1 + B_T) \frac{(T_\infty - T_p)}{B_T} - \dot{m} h_{fg} $$

🎓

$B_T$ はSpalding熱移動数、$Nu^*$ は修正Nusselt数だ。右辺第1項が対流加熱、第2項が蒸発冷却(潜熱吸収)だ。


d-二乗則

🧑‍🎓

d-二乗則って聞いたことがあります。


🎓

定常蒸発では液滴径の二乗が時間に比例して減少する。


$$ d^2(t) = d_0^2 - K t $$

🎓

$K$ は蒸発速度定数で、液種と雰囲気条件で決まる。この直線的減少がd-二乗則で、蒸発モデルの検証指標として最もよく使われる。


Coffee Break よもやま話

D2則——液滴蒸発の「黄金律」と現実の乖離

液滴の蒸発速度を支配する古典的な「D2則」は、液滴直径の二乗が時間に比例して減少するというシンプルな法則です。D^2 = D0^2 - K*t(K:蒸発定数)で表され、この法則は1953年にGodsaveとSpaldingがほぼ同時に発表した燃料液滴燃焼解析が起源です。ただし現実の液滴は内部循環・Marangoni対流・気相熱輻射などの影響を受けるため、D2則は最大で30%の誤差を生じます。複数液滴が密集する噴霧環境では隣接液滴からの蒸気によるGroup evaporation効果でさらにずれが大きくなります。

各項の物理的意味
  • 時間項 $\partial(\rho\phi)/\partial t$:蛇口をひねった瞬間を思い浮かべてください。最初は水がバタバタと不安定に出て、しばらくすると安定した流れになりますよね? この「変化している最中」を記述するのが時間項です。心臓の拍動で血流が脈打つのも、エンジンのバルブが開閉するたびに流れが変動するのも、すべて非定常現象。では定常解析とは? 「十分時間が経って流れが落ち着いた後」だけを見る——つまりこの項をゼロにする。計算コストが大幅に下がるため、まず定常で解いてみるのがCFDの基本戦略です。
  • 対流項 $\nabla \cdot (\rho \mathbf{u} \phi)$:川に落ち葉を落としたらどうなりますか? 流れに乗って下流に運ばれますよね。これが「対流」——流体の動きが物を運ぶ効果です。暖房の温風が部屋の端まで届くのも、空気という「運び屋」が熱を対流で輸送しているから。ここが面白いところ——この項は「速度×速度」を含むため非線形です。つまり、流れが速くなるとこの項が急激に強くなり、制御が難しくなる。これが乱流の根本原因です。よくある勘違い:「対流と伝導は同じようなもの」→ 全然違います! 対流は流れが運ぶ、伝導は分子が伝える。桁違いの効率差があります。
  • 拡散項 $\nabla \cdot (\Gamma \nabla \phi)$:コーヒーにミルクを入れて放置したことはありますか? かき混ぜなくても、しばらく経つと自然に混ざりますよね。あれが分子拡散です。では次の質問——ハチミツとお水、どちらが流しやすいですか? 当然お水ですよね。ハチミツは粘性($\mu$)が高いから流れにくい。粘性が大きいと拡散項が強くなり、流体は「もったりした」動きになります。レイノルズ数が小さい流れ(ゆっくり、ドロドロ)では拡散が支配的。逆にRe数が大きい流れでは対流が圧倒し、拡散は脇役になります。
  • 圧力項 $-\nabla p$:注射器のピストンを押すと、液体が針先から勢いよく出ますよね? なぜでしょう? ピストン側が高圧、針先が低圧——この圧力差が流体を押す力になるからです。ダムの放水も同じ原理。天気図で等圧線がギュッと密になっている場所では? そう、強風が吹きます。「圧力差があるところに流れが生まれる」——これがナビエ-ストークス方程式の圧力項の物理的意味。ここでの勘違いポイント:CFDの「圧力」は絶対圧ではなくゲージ圧のことが多い。圧縮性解析に切り替えたとたんに結果がおかしくなる場合、絶対圧/ゲージ圧の混同が原因かもしれません。
  • ソース項 $S_\phi$:暖められた空気が上に昇る——なぜでしょう? 周囲より軽く(密度が低く)なったから、浮力で押し上げられるのです。この浮力はソース項として方程式に追加されます。他にも、ガスコンロの炎で化学反応熱が発生する、工場の電磁ポンプで金属溶湯にローレンツ力がかかる…これらはすべて「外部から流体にエネルギーや力を注入する」作用であり、ソース項で表現します。ソース項を忘れるとどうなるか? 自然対流の解析で浮力を入れ忘れると、流体は一切動かない——冬の部屋で暖房をつけたのに暖かい空気が上に行かない、という物理的にありえない結果になります。
仮定条件と適用限界
  • 連続体仮定:クヌッセン数 Kn < 0.01(分子平均自由行程 ≪ 代表長さ)で成立
  • ニュートン流体仮定:せん断応力と歪み速度が線形関係(非ニュートン流体では粘度モデルが必要)
  • 非圧縮性仮定(Ma < 0.3の場合):密度を一定として扱う。マッハ数0.3以上では圧縮性効果を考慮
  • ブシネスク近似(自然対流):密度変化を浮力項のみで考慮し、他の項では一定密度を使用
  • 適用外ケース:希薄気体(Kn > 0.1)、超音速・極超音速流れ(衝撃波捕捉が必要)、自由表面流れ(VOF/Level Set等が必要)
次元解析と単位系
変数SI単位注意点・換算メモ
速度 $u$m/s入口条件で体積流量から換算する際、断面積の単位に注意
圧力 $p$Paゲージ圧と絶対圧の区別。圧縮性解析では絶対圧を使用
密度 $\rho$kg/m³空気: 約1.225 kg/m³@20°C、水: 約998 kg/m³@20°C
粘性係数 $\mu$Pa·s動粘性係数 $\nu = \mu/\rho$ [m²/s] との混同に注意
レイノルズ数 $Re$無次元$Re = \rho u L / \mu$。層流/乱流遷移の判定指標
CFL数無次元$CFL = u \Delta t / \Delta x$。時間刻みの安定性に直結

数値解法と実装

数値解法の詳細

🧑‍🎓

蒸発モデルの数値的なポイントを教えてください。


🎓

Lagrangian液滴追跡の中で、各タイムステップにおいて液滴ごとに蒸発量を計算する。蒸発で失われた質量は気相のspecies輸送方程式にソース項として反映される(two-way coupling)。


🎓

計算の流れは以下の通りだ。

1. 液滴位置でのガス温度・蒸気濃度を補間

2. 液滴表面の飽和蒸気圧を計算(Antoine式 or Clausius-Clapeyron式)

3. Spalding移動数 $B_M$, $B_T$ を計算

4. 蒸発速度 $\dot{m}$ と液滴温度変化率を計算

5. 液滴質量と径を更新

6. 気相へのmass, momentum, energy sourceを反映


多成分液滴の蒸発

🧑‍🎓

ガソリンのように複数成分が混ざった液滴はどう扱うんですか?


🎓

多成分蒸発モデルでは、各成分の蒸気圧をRaoultの法則で求める。


$$ p_i = x_i \gamma_i p_i^{sat}(T) $$

🎓

$x_i$ は液相中のモル分率、$\gamma_i$ は活量係数、$p_i^{sat}$ は純成分の飽和蒸気圧だ。軽質成分が先に蒸発し、液滴組成が時間変化する。


🧑‍🎓

液滴内部の温度分布は考慮するんですか?


🎓

簡易モデル(Uniform Temperature)では液滴内部を均一温度と仮定する。高精度モデル(Diffusion Limit)では液滴内部の温度と組成の半径方向分布を解く。Fluentでは「Infinite Diffusion」と「Diffusion-Limited」の選択が可能だ。


ツール別の実装

ツール蒸発モデル多成分特徴
Ansys FluentConvection/Diffusion ControlledRaoult則Species Transport連成
STAR-CCM+Abramzon-Sirignano多成分対応Lagrangianフレームワーク
OpenFOAM (sprayFoam)各種蒸発モデル対応カスタマイズ可能
CONVERGE多成分蒸発詳細化学連携AMR対応
🎓

燃焼解析では蒸発モデルと化学反応モデルの連成が重要だ。液滴蒸発で生成した蒸気が着火・燃焼する過程を正確に再現するには、Species Transportの解像度とタイムステップの管理が鍵になる。


Coffee Break よもやま話

Langmuir-Knudsenモデル——薄膜蒸発の分子論的根拠

液体表面で分子が蒸発・凝縮する速度を分子運動論から記述するLangmuir-Knudsenモデルは、気液界面の平均自由工程が膜厚と同程度になるKnudsen層の物理を扱います。マイクロデバイス(MEMS)の薄膜蒸発器やナノ液滴の蒸発では、連続体仮定が破綻してこのモデルが必須となります。ただしCFDで実装する際の「蒸発係数σ_e(0.01〜1の範囲でほぼ4桁の不確かさ)」の不確定性が最大の課題で、同じ水の蒸発を解析しても文献値によって計算結果が劇的に異なります。

風上差分(Upwind)

1次風上: 数値拡散が大きいが安定。2次風上: 精度向上するが振動のリスク。高レイノルズ数流れでは必須。

中心差分(Central Differencing)

2次精度だが、Pe数 > 2で数値振動が発生。低レイノルズ数の拡散支配流れに適する。

TVDスキーム(MUSCL、QUICK等)

リミッタ関数により数値振動を抑制しつつ高精度を維持。衝撃波や急勾配の捕捉に有効。

有限体積法 vs 有限要素法

FVM: 保存則を自然に満足。CFDの主流。FEM: 複雑形状・マルチフィジックスに有利。SPH等のメッシュフリー法も発展中。

CFL条件(クーラン数)

陽解法: CFL ≤ 1が安定条件。陰解法: CFL > 1でも安定だが、精度と反復回数に影響。LES: CFL ≈ 1を推奨。物理的意味: 1タイムステップで情報が1セル以上進まないこと。

残差モニタリング

連続の式・運動量・エネルギーの各残差が3〜4桁低下で収束と判断。質量保存の残差は特に重要。

緩和係数

圧力: 0.2〜0.3、速度: 0.5〜0.7が一般的な初期値。発散する場合は緩和係数を下げる。収束後は上げて加速。

非定常計算の内部反復

各タイムステップ内で定常解に収束するまで反復。内部反復数: 5〜20回が目安。残差がタイムステップ間で変動する場合は時間刻みを見直す。

SIMPLE法のたとえ

SIMPLE法は「交互に調整する」手法。まず速度を仮に求め(予測ステップ)、その速度で質量保存が満たされるよう圧力を補正し(補正ステップ)、補正された圧力で速度を修正する——このキャッチボールを繰り返して正解に近づく。2人で棚を水平にする作業に似ている:片方が高さを合わせ、もう片方がバランスを取り、これを交互に繰り返す。

風上差分のたとえ

風上差分は「川の流れに立って上流の情報を重視する」手法。川の中にいる人が下流を見ても水の出所は分からない——上流の情報が下流を決めるという物理を反映した離散化手法。精度は1次だが、流れの方向を正しく捕捉するため安定性が高い。

実践ガイド

実践ガイド

🧑‍🎓

蒸発を伴う噴霧解析の手順を教えてください。


🎓

噴霧乾燥機の解析を例にとろう。


🎓

1. 形状作成: 乾燥チャンバー、噴霧ノズル位置、排気口

2. メッシュ生成: ノズル近傍を細かく(1〜2 mm)、遠方は粗く(5〜10 mm)

3. 気相設定: 熱風の温度・湿度・流速を入口条件に設定

4. 液滴投入: ノズルからRosin-Rammler分布の液滴を投入

5. 蒸発モデル: Convection/Diffusion Controlled蒸発を有効化

6. Species Transport: 水蒸気の輸送方程式を追加

7. 後処理: 液滴の軌跡、蒸発完了位置、出口温度・湿度


物性値の重要性

🧑‍🎓

蒸発解析で特に重要な物性値は何ですか?


🎓

以下の物性が蒸発速度に直接影響する。


物性重要度備考
飽和蒸気圧 $p_{sat}(T)$最重要Antoine式のパラメータ精度が鍵
蒸発潜熱 $h_{fg}$温度依存性を考慮
二成分拡散係数 $D_{AB}$Chapman-Enskog理論 or 実測
液体比熱 $c_{p,l}$液滴温度変化に影響
液体密度 $\rho_l$液滴径計算に影響
🧑‍🎓

Antoine式のパラメータはどこで入手できますか?


🎓

NIST Chemistry WebBookが最も信頼性の高いデータソースだ。DIPPR(Design Institute for Physical Properties)データベースも業界標準として使われている。


よくある検証手法

🧑‍🎓

蒸発モデルの検証はどうすればいいですか?


🎓

以下のベンチマーク実験がよく使われる。


実験条件計測量
単一液滴蒸発懸垂液滴法d-二乗則の蒸発速度定数 $K$
Ranz-Marshall対流中の単一液滴Sherwood数、Nusselt数
ECN Spray An-ドデカン高温雰囲気噴射蒸気浸透長、液相到達距離
噴霧乾燥実機データ出口温度、残留水分
🎓

まず単一液滴でd-二乗則を確認し、次に噴霧系で全体挙動を検証するのが標準的なアプローチだ。


Coffee Break よもやま話

衣料品乾燥のCFD——乾燥機メーカーの省エネ設計革命

家庭用衣料乾燥機の開発でCFDが本格的に活用されるようになったのは2010年代です。ドラム内の温湿度分布・空気流れ・布の含水率変化を連成させたモデルにより、ドラム形状と通気孔配置を最適化して消費電力を15%削減した事例が複数の家電メーカーから報告されています。特に難しいのは「布の多孔質内での毛細管蒸発」と「ドラム内強制対流蒸発」の二段階をモデル化することで、欧州エネルギーラベル規制が厳格化するにつれ、このような詳細シミュレーションへの投資が競争力の源泉となっています。

解析フローのたとえ

CFDの解析フローは「水族館の水槽を設計する」感覚で考えてみてください。まず水槽の形を決め(計算領域)、水の入り口と出口を設計し(境界条件)、ポンプの強さを設定する(流量条件)。魚がどう泳ぐか見たければ粒子追跡。水温が気になれば熱解析を追加。…どうですか? 意外と直感的ではありませんか?

初心者が陥りやすい落とし穴

「y+って何ですか?」——この質問が出たら要注意。壁面近くのメッシュ解像度を表すy+は、CFDの結果精度を左右する最重要パラメータの1つ。壁関数を使うなら30〜300、壁を完全に解像するなら1以下。これを確認せずに「摩擦抵抗が合わない!」と悩む人がとても多い。体温計の先端をちゃんと脇に挟まないで「熱がないのに37.5度って出た!」と慌てているようなものです。

境界条件の考え方

入口の境界条件は「蛇口をどのくらい開けるか」と同じ。ちょろちょろ出すか(低速)、全開にするか(高速)。でもCFDではもう一つ——「どのくらい暴れた水を出すか」(乱流強度)も指定する必要があります。蛇口の開け方を間違えると、下流のシンク全体の流れが変わりますよね? CFDでも入口条件のミスは下流全体に波及します。

ソフトウェア比較

商用ツール比較

🧑‍🎓

蒸発モデルを実装しているツールを比較してください。


🎓
ツール単一成分多成分Flash蒸発特徴
Ansys FluentConvection/DiffusionRaoult, UNIFACThermal breakupVOF-to-DPM連携
STAR-CCM+Abramzon-SirignanoMulti-componentFlash boilingLagrangian/Eulerianスイッチ
OpenFOAMsprayFoam内蔵対応限定的自由にモデル追加可能
CONVERGE詳細蒸発多成分対応AMR + 燃焼連携

用途別推奨

🧑‍🎓

用途によって使い分けるんですか?


🎓
用途推奨ツール理由
ディーゼル噴射+蒸発+燃焼CONVERGE, FluentAMR対応、詳細化学連携
GDI(ガソリン直噴)Flash boilingSTAR-CCM+, FluentFlash蒸発モデル搭載
噴霧乾燥Fluent, STAR-CCM+DPM + 蒸発 + 壁面衝突
冷却塔FluentWet-Bulbモデル統合
学術研究OpenFOAM新しい蒸発モデルの実装
🧑‍🎓

Flash boilingって何ですか?


🎓

高温高圧の燃料がノズルから噴射される際、急減圧で液温が飽和温度を超え、液滴内部から急激に沸騰する現象だ。GDIエンジンの高温条件で発生し、噴霧の微粒化を促進する。通常の表面蒸発とは異なるメカニズムなので、専用のFlash boilingモデルが必要になる。


🎓

Fluent 2021以降ではThermal Breakupモデル、STAR-CCM+ではFlash Boiling Spray Modelが搭載されている。


Coffee Break よもやま話

プロセスシミュレータとCFD——蒸留塔設計の二刀流

化学プラントの蒸留塔設計では、全体物質・エネルギーバランスをAspen Plus等のプロセスシミュレータで計算し、トレイやパッキングの詳細挙動をCFDで解析する「階層的アプローチ」が定着しています。大手化学メーカー(BASF、Dow等)はCFDによるトレイ上液膜の蒸発解析と実際の分離効率の対応関係をデータベース化しており、これが次世代蒸留塔設計の差別化につながっています。Siemens Star-CCM+のEulerian Multiphase + Evaporation Modelは蒸留トレイのベンチマーク事例が豊富で、評価実績がそのまま顧客への信頼性根拠となっています。

選定で最も重要な3つの問い

  • 「何を解くか」:蒸発モデルに必要な物理モデル・要素タイプが対応しているか。例えば、流体ではLES対応の有無、構造では接触・大変形の対応能力が差になる。
  • 「誰が使うか」:初心者チームならGUIが充実したツール、経験者ならスクリプト駆動の柔軟なツールが適する。自動車のAT車(GUI)とMT車(スクリプト)の違いに似ている。
  • 「どこまで拡張するか」:将来の解析規模拡大(HPC対応)、他部門への展開、他ツールとの連携を見据えた選択が長期的なコスト削減につながる。

先端技術

先端技術と研究動向

🧑‍🎓

蒸発モデルの最新研究にはどんなものがありますか?


🎓

いくつかの方向性を見ていこう。


超臨界蒸発

🎓

ロケットエンジンやディーゼルエンジンの高温高圧条件では、液滴周囲の雰囲気が燃料の臨界点を超える。この条件では液-気の界面が消失し、通常の蒸発モデル(d-二乗則)は適用できない。Peng-Robinson状態方程式やSoave-Redlich-Kwong状態方程式を用いたReal-Fluid蒸発モデルが研究されている。


🧑‍🎓

通常の蒸発モデルが使えないんですね。


🎓

Matagni & Bellan(MIT)やOkong'o & Bellan のDNS研究が先駆的で、超臨界液滴の「蒸発」は界面のない密度遷移として記述される。CONVERGEやOpenFOAMにこの種のモデルを実装する研究が進んでいる。


多成分蒸発の詳細化学

🎓

ガソリンのような数百成分の混合燃料では、サロゲート燃料(5〜20成分の代替混合物)を定義し、各成分の蒸発を追跡する。NIST/LLNL の化学反応メカニズムとの整合性が重要だ。


DNSによる液滴蒸発の直接計算

🎓

液滴周囲の速度場・温度場・濃度場をDNSで解き、既存モデルの検証やクロージャ改良に活用する研究が増えている。Schlottke & Weigand(Stuttgart)のVOF-DNS が代表的だ。


機械学習の活用

🧑‍🎓

AIで蒸発モデルを改善する研究もあるんですか?


🎓

DNSデータを教師データとして、液滴蒸発速度のサロゲートモデルをニューラルネットワークで構築する研究がある。多成分蒸発では組成-温度-圧力の高次元パラメータ空間でのテーブル参照を、学習モデルで効率化する試みもある。


Coffee Break よもやま話

超臨界蒸発——液体ロケットエンジンの「もう一つの世界」

液体水素・液体酸素を推進剤とするロケットエンジンでは、燃焼室圧力が推進剤の臨界圧力を超える超臨界状態で噴射・混合・燃焼が起きます。この条件では液滴の蒸発という概念自体が消え、液体から気体への「連続的な遷移」が支配し、古典的な蒸発モデルが根本的に使えなくなります。Peng-Robinsonなどの実在気体状態方程式とCFDを組み合わせた超臨界蒸発解析は、JAXAやNASAが2000年代から精力的に取り組んできた分野です。Widom lineを越えた際の物性急変(密度が数十%変化)がCFD収束を著しく困難にするため、適応的状態方程式の自動切り替えが実装上のカギになっています。

トラブルシューティング

トラブルシューティング

🧑‍🎓

蒸発モデルでよくあるトラブルを教えてください。


🎓

順番に見ていこう。


1. 液滴が蒸発しない

🎓

症状: 液滴が蒸発せずそのまま飛んでいく。


🎓

対策:

  • Species Transportが有効で、蒸気成分が定義されていることを確認
  • 液滴のBoiling PointとLatent Heatが正しく設定されているか確認
  • 雰囲気温度が液滴の沸点より高いか確認(低温では蒸発が極めて遅い)
  • DPMのEvaporationモデルが有効になっていることを確認

2. 液滴温度が非物理的に低くなる

🧑‍🎓

液滴温度がマイナスになってしまいます…


🎓

対策:

  • 蒸発潜熱の値が正しいか確認(単位系に注意)
  • 液滴サイズが小さすぎないか確認(微小液滴は瞬時に蒸発して温度が急降下)
  • 気相の温度場が収束しているか確認
  • タイムステップが大きすぎないか確認

3. 蒸発速度が実験と合わない

🎓

対策:

  • Antoine式のパラメータを確認(NISTデータと比較)
  • 二成分拡散係数 $D_{AB}$ の値と温度依存性を確認
  • 対流条件が正しいか確認(Reynolds数に応じたNu, Shの補正)
  • 多成分液滴の場合、Raoultの法則の活量係数を確認

4. 気相の蒸気濃度が非物理的

🎓

対策:

  • 2-way couplingが正しく設定されているか確認
  • パーセル数が十分多いか確認(少ないと統計誤差が大きい)
  • メッシュが粗すぎないか確認(ソース項が1セルに集中すると局所的に過飽和になる)

5. ツール固有の注意点

ツール注意点
FluentDroplet species fractionの初期値を正しく設定(多成分の場合和が1になるように)
STAR-CCM+Lagrangian phase interactionのmass/heat transferが有効か確認
OpenFOAMsprayFoamのevaporationModelでAntoineCoeffsの単位系(Pa or bar)に注意
CONVERGEAdaptive mesh refinement levelが蒸発領域で十分か確認
Coffee Break よもやま話

液滴が蒸発しない——境界条件設定ミスの診断

蒸発CFDで「液滴温度が沸点に達しているのに質量が減らない」という現象は、多くの場合、液滴周囲のガス相境界条件の問題です。液滴からの蒸発速度は周囲ガスの水蒸気分圧(湿度)と平衡蒸気圧の差に比例するため、入口境界の湿度設定が100%になっていると蒸発駆動力がゼロになります。Ranz-Marshallモデルのような熱・質量移動相関式は液滴Reynolds数が0.1〜1000の範囲で有効で、超微細液滴(< 5 µm)や高速液滴(> 200 m/s)では補正係数の適用が必要です。蒸発が起きていないことに気づいたら、まず各セルの蒸発源項のコンター図を確認することを推奨します。

「解析が合わない」と思ったら

  1. まず深呼吸——焦って設定をランダムに変えると、問題がさらに複雑になる
  2. 最小再現ケースを作る——蒸発モデルの問題を最も単純な形で再現する。「引き算のデバッグ」が最も効率的
  3. 1つだけ変えて再実行——複数の変更を同時に行うと、何が効いたか分からなくなる。科学実験と同じ「対照実験」の原則
  4. 物理に立ち返る——計算結果が「重力に逆らって物が浮く」ような非物理的な結果なら、入力データの根本的な間違いを疑う
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